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活動内容(旅行など)の報告と言いつつ、管理人の個人ブログになりつつあるブログです。
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ちょーひさしぶりー

ボスざます。

卒論に追われて気が付けば院生。

ひと月ほど更新がないので、つなぎとして現れちゃいました(●´ω`●)ゞテレ

OGになってもまだまだ居座るよん。今ちょっとテンション高いなー


さて、今回は何をネタにしようかな。やっぱり東北の美味しいものかなーそうしようかなー


・・・・・・・・・・・・タダェマ((´‐公‐`))考ぇ中・・・・・・・・・・・・・あ



牛タン❤ in 仙台



私の好物ベストファイブに入る牛タン。牛タンの為に私の中で仙台はもはや神レベル。

松島に行った時に有名牛タン店『利久』で食べました。ごっつぁんです。Σ(人ω<`)

さて、そんな誰からも愛される牛タンの始まりは戦後の混乱期。調べました。仙台牛タウンというHPで。

今は昔。戦火で何もかも失った人達が立ち上がり、現代の豊かさの基盤を築いた名もなき英雄達が奮闘するそんな時代。

そのうちの一人に、佐野 啓四郎 という、向上心旺盛な人がいました。

彼は洋食の中に入っていた牛タンという食材に魅入られ、当時牛は高級だったその時代にとれる牛タンはとても貴重。それを頑張って頑張って頑張って・・・人々に食べてもらうために試行錯誤の末、牛タン焼きが誕生。

戦後の復興を支えた牛タンは今もなお、その熱は冷めやらず、人々の舌を楽しませている。

・・・洒落じゃないからね。


牛タンだけじゃなくて、仙台発祥の食べ物は多いのよ。ずんだ(あの緑の餡、んまいよねー♪)は有名だから誰でも知ってると思うけど、調べたら冷やし中華や笹かまぼこ、ハンバーガーも仙台発祥なんだそうな。アメリカから渡ってきた青春の主食はここから始まったんだな。

だったら牛タンバーガーとかあってもいいと思うんだけど。あったらいいなー

・・・と思ったらありました。

何処かの高速道路のサービスエリアにあるとのこと!

サービスエリアにあるなら普通に観光地にも売ってるはず!

牛タン好きさんは行く機会があれば是非ご賞味あれ。


今回はこんなとこかな。


牛タンはレモンと胡椒を合わせると最強です。

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暇じゃないけどまた顔を出しに来ました。ボスです。

前回、昔から食べられている食べ物ってないかなって書いたと思うんだけど、あったよ。

  米。

日本人の心というべき銀シャリでぃ。日本の全ての頂点に立つのは天皇陛下でもなく、総理大臣でも彼のマツコでもなく、OKOME SAMAだよね。

始まりは縄文時代。万葉集の時代飛び越えたね。でも別にいいよね。紫とつくあの文豪も、小町とかこじゃれた名のあの美女も、みんな米を食べたんだろうしね! グルメの大元だから無問題(モウマンタイ)。

歴史博物館とかにいくと、庶民の米って黄ばんでるというか、白くないよね。お貴族様のはちゃんと白いけど、庶民がアレなのは、粟とか稗(キビって読める?)などの雑穀を米と混ぜていたから。それを雑炊にして嵩増ししてたんだとか。
きっとね、昔の農民の方々は、白くて眩しいお米様をお米様だけで食べるのが一生の夢だったりしたんだ、たぶん。
あー貴族になりてぇとか思ってたんだ(米の為)、きっと。
なんで俺らの汗水垂らした結晶を白い顔色の麻呂共にやらにゃかんのじゃとか思ってたんだよ、絶対。
うん。

でも、ぶっちゃけ、茶色い飯の方が美味しそうに見えるのは私だけだろうか。  ほら…なんか、香ばしい味とかついてそうじゃん?


それでね、これほどまでに称えられるべきお米の、現代の扱いは何ぞや、と思うわけ。減反政策を執行した当時の政府。そして以前農家を尊重してあげない現政府。だめでしょ。いくら第二次、第三次産業の方が儲かるとか言ったって、食がしっかりしてなきゃ明日の力も出ませんて。

今、いろいろなことがあるけれど、でも、日本の舵切りのチャンスでもある時期なんだと思うんだ。

何が一番大切か、それをはっきりさせていなきゃ、そう遠くない未来、金はあるけど飯はない状態になっちゃうよ。

以上、今回はちょっと真面目に締めてみました。
久しぶりに気が向いたので投稿。ボスです。

なんだか最近旅行運がないようだね。私はいずれもTOEICの試験で行けなかった旅行ばかりで影響はないけども。私曇女だからさ、土砂降りでの旅行の経験はあんまりないわけで、ご愁傷様~

さて、今回は何処の県を取り上げましょうかね………あーじゃあ三重。

三重といえば真っ先に思い浮かぶ食べ物といえば「赤福」。これはもう譲れんでしょ。練りきりが好きな私の好物で、たまに名古屋駅で買ってます。いいじゃんねー何処で買っても。

赤福は宝永四年(1707)に創業。この年に富士山噴火という、現代だったら一週間くらい新聞の見出しを飾るくらいのビッグニュースがあった年です。もっと言えば東海・東南海・南海地震(めっさデカい地震)が起こったという結構有名な年時事問題として知っとくとお得かも。
その頃のイギリスでは、フォートナム・アンド・メイソン(上流階級御用達のスーパー)が開業した年だってさ。きっと日英がご近所だったら同年に開業した同志として赤福がフォートナム・アンド・メイソンの棚に陳列されていただろうに、残念。でも、鎖国してたし、やっぱ無理だったかな。
そして理系の人間にとって必ずお世話になるだろう数学者オイラーさんがこの年の春にスイスで誕生もしている。いやあ、美食の歴史も数学の歴史も大きく動き出す時期だったんだね。

話を戻して、この頃の日本は徳川綱吉の御世。綱吉といえば生類憐みの令。後世に語り継がれる愚かな将軍とされているけれど、もともとこの人は学問が好きで、それ以前は天和の治と呼ばれる立派な改革を行った執政者。お母ちゃんが余計なことをいわんけりゃ名君として名を遺したかもしれない。全く残念な方。
赤福の創業は綱吉の晩年、生類憐みの令で民が苦しんでいた頃だから綱吉は赤福食べずに亡くなったんだろうな。そういう意味でも残念。

なんか赤福(というか綱吉)に流れがいっちゃいましたが、三重発祥の食べ物に意外なことに「鯛焼き」の名が。鯛好きだった津藩主をしのんで「日の出屋」さんの主人が作ったのが始まりだそう。
あとは天ぷら屋さんの「千寿」が「天むす」を考案したり、志摩半島あたりで食べられる「さんま寿司」とかね。さらには「とらや本家」のイチゴ大福も三重発祥とか(諸説あるけど)…三重グっジョブ!

あと、外せないのは「伊勢うどん」。
これは江戸時代以前で、伊勢うどんじゃないうどんが出るまではうどんといえば伊勢うどんだったくらいザ☆元祖なうどん様。汁じゃなくてたれを絡めて食べる伊勢うどん。おかげ横丁で先輩に赤福氷と一緒に奢ってもらったのは好い思い出。
始まりは江戸時代以前。一体いつから三重人は食べていたのか、わからないからそこに浪漫がある。素敵。
お伊勢参りは昔は道がないから平民には出来なかったけど、偉い人は伊勢に行ってこのうどんを啜ったのかと思うとわくわくするね。伊勢の歴史はうどんとともに紡いできたんだから。


さて、今回はすごく長くなったけど、結構豆知識が詰まったコラムになった気がする。そして相変わらず万葉集に関わってこない。平安時代から食べられている食べ物ってないかな…。
ふくろう君。タイトルの”グ”が抜けているよ。

こんにちはボスです。

次回に名古屋に行くというので名古屋の美味しいものについて。私は入部初めての欠席をさせてもらいますけども、楽しんできてね。

名古屋といえば、味噌カツ、味噌煮込みうどん、味噌おでん、味噌肉豆腐とか、いろいろあるね。味噌バラエティが半端ないよね。コンビニに味噌おでんがあるのはここだけらしい。美味しいのに…

もちろん他にもいろいろあるよね。
名古屋コーチンとかひつまぶしとか結構高価なものから、小倉トーストとかなごやんとかリーズナブルなものまで沢山あるよね。喫茶店で小倉とジャムが肩を並べているのは名古屋ならでは。

小倉で思い出した。甘いもので名古屋のものといえば、鬼饅頭とかういろう。でもういろうは実は神奈川の小田原さんとこが発祥っていうね。小学校の頃ういろう出たのにね。

こんなところかな。万葉集に全く触れてないね。だって上のグルメは万葉集以前のものだしね。八丁味噌だって南北朝時代だしさ。織田信長以前だと思うとすごいけど。

長くなっちゃったので、今回はこんなところで。
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