活動内容(旅行など)の報告と言いつつ、管理人の個人ブログになりつつあるブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
久しぶりに気が向いたので投稿。ボスです。
なんだか最近旅行運がないようだね。私はいずれもTOEICの試験で行けなかった旅行ばかりで影響はないけども。私曇女だからさ、土砂降りでの旅行の経験はあんまりないわけで、ご愁傷様~
さて、今回は何処の県を取り上げましょうかね………あーじゃあ三重。
三重といえば真っ先に思い浮かぶ食べ物といえば「赤福」。これはもう譲れんでしょ。練りきりが好きな私の好物で、たまに名古屋駅で買ってます。いいじゃんねー何処で買っても。
赤福は宝永四年(1707)に創業。この年に富士山噴火という、現代だったら一週間くらい新聞の見出しを飾るくらいのビッグニュースがあった年です。もっと言えば東海・東南海・南海地震(めっさデカい地震)が起こったという結構有名な年時事問題として知っとくとお得かも。
その頃のイギリスでは、フォートナム・アンド・メイソン(上流階級御用達のスーパー)が開業した年だってさ。きっと日英がご近所だったら同年に開業した同志として赤福がフォートナム・アンド・メイソンの棚に陳列されていただろうに、残念。でも、鎖国してたし、やっぱ無理だったかな。
そして理系の人間にとって必ずお世話になるだろう数学者オイラーさんがこの年の春にスイスで誕生もしている。いやあ、美食の歴史も数学の歴史も大きく動き出す時期だったんだね。
話を戻して、この頃の日本は徳川綱吉の御世。綱吉といえば生類憐みの令。後世に語り継がれる愚かな将軍とされているけれど、もともとこの人は学問が好きで、それ以前は天和の治と呼ばれる立派な改革を行った執政者。お母ちゃんが余計なことをいわんけりゃ名君として名を遺したかもしれない。全く残念な方。
赤福の創業は綱吉の晩年、生類憐みの令で民が苦しんでいた頃だから綱吉は赤福食べずに亡くなったんだろうな。そういう意味でも残念。
なんか赤福(というか綱吉)に流れがいっちゃいましたが、三重発祥の食べ物に意外なことに「鯛焼き」の名が。鯛好きだった津藩主をしのんで「日の出屋」さんの主人が作ったのが始まりだそう。
あとは天ぷら屋さんの「千寿」が「天むす」を考案したり、志摩半島あたりで食べられる「さんま寿司」とかね。さらには「とらや本家」のイチゴ大福も三重発祥とか(諸説あるけど)…三重グっジョブ!
あと、外せないのは「伊勢うどん」。
これは江戸時代以前で、伊勢うどんじゃないうどんが出るまではうどんといえば伊勢うどんだったくらいザ☆元祖なうどん様。汁じゃなくてたれを絡めて食べる伊勢うどん。おかげ横丁で先輩に赤福氷と一緒に奢ってもらったのは好い思い出。
始まりは江戸時代以前。一体いつから三重人は食べていたのか、わからないからそこに浪漫がある。素敵。
お伊勢参りは昔は道がないから平民には出来なかったけど、偉い人は伊勢に行ってこのうどんを啜ったのかと思うとわくわくするね。伊勢の歴史はうどんとともに紡いできたんだから。
さて、今回はすごく長くなったけど、結構豆知識が詰まったコラムになった気がする。そして相変わらず万葉集に関わってこない。平安時代から食べられている食べ物ってないかな…。
なんだか最近旅行運がないようだね。私はいずれもTOEICの試験で行けなかった旅行ばかりで影響はないけども。私曇女だからさ、土砂降りでの旅行の経験はあんまりないわけで、ご愁傷様~
さて、今回は何処の県を取り上げましょうかね………あーじゃあ三重。
三重といえば真っ先に思い浮かぶ食べ物といえば「赤福」。これはもう譲れんでしょ。練りきりが好きな私の好物で、たまに名古屋駅で買ってます。いいじゃんねー何処で買っても。
赤福は宝永四年(1707)に創業。この年に富士山噴火という、現代だったら一週間くらい新聞の見出しを飾るくらいのビッグニュースがあった年です。もっと言えば東海・東南海・南海地震(めっさデカい地震)が起こったという結構有名な年時事問題として知っとくとお得かも。
その頃のイギリスでは、フォートナム・アンド・メイソン(上流階級御用達のスーパー)が開業した年だってさ。きっと日英がご近所だったら同年に開業した同志として赤福がフォートナム・アンド・メイソンの棚に陳列されていただろうに、残念。でも、鎖国してたし、やっぱ無理だったかな。
そして理系の人間にとって必ずお世話になるだろう数学者オイラーさんがこの年の春にスイスで誕生もしている。いやあ、美食の歴史も数学の歴史も大きく動き出す時期だったんだね。
話を戻して、この頃の日本は徳川綱吉の御世。綱吉といえば生類憐みの令。後世に語り継がれる愚かな将軍とされているけれど、もともとこの人は学問が好きで、それ以前は天和の治と呼ばれる立派な改革を行った執政者。お母ちゃんが余計なことをいわんけりゃ名君として名を遺したかもしれない。全く残念な方。
赤福の創業は綱吉の晩年、生類憐みの令で民が苦しんでいた頃だから綱吉は赤福食べずに亡くなったんだろうな。そういう意味でも残念。
なんか赤福(というか綱吉)に流れがいっちゃいましたが、三重発祥の食べ物に意外なことに「鯛焼き」の名が。鯛好きだった津藩主をしのんで「日の出屋」さんの主人が作ったのが始まりだそう。
あとは天ぷら屋さんの「千寿」が「天むす」を考案したり、志摩半島あたりで食べられる「さんま寿司」とかね。さらには「とらや本家」のイチゴ大福も三重発祥とか(諸説あるけど)…三重グっジョブ!
あと、外せないのは「伊勢うどん」。
これは江戸時代以前で、伊勢うどんじゃないうどんが出るまではうどんといえば伊勢うどんだったくらいザ☆元祖なうどん様。汁じゃなくてたれを絡めて食べる伊勢うどん。おかげ横丁で先輩に赤福氷と一緒に奢ってもらったのは好い思い出。
始まりは江戸時代以前。一体いつから三重人は食べていたのか、わからないからそこに浪漫がある。素敵。
お伊勢参りは昔は道がないから平民には出来なかったけど、偉い人は伊勢に行ってこのうどんを啜ったのかと思うとわくわくするね。伊勢の歴史はうどんとともに紡いできたんだから。
さて、今回はすごく長くなったけど、結構豆知識が詰まったコラムになった気がする。そして相変わらず万葉集に関わってこない。平安時代から食べられている食べ物ってないかな…。
PR
この記事にコメントする